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いつまでこのQOLを保てるか?

2009年 10月 10日 — 2:13pm

cosmos

 

今の所、体は変化なく推移していて、ブログに書くことがなくなって来た。

そこで目まぐるしかったこの1年間の簡単な経緯と、元気でいられる要因を検証してみた。

 

1)昨年7月、肺ガン発覚(ステージ3b。肺門部気管支を覆う4大の肺腺ガンだった。
9月〜11月にS医大にて、国際標準的治療(放射線メインに抗がん剤)を受けてちょうど丸一年になる。
しかし最初の診断は、4つしかないステージの4(要するに末期ガン)。
治療方針は抗がん剤のみで、このステージだと1年生存率が50〜60%しかない。
要するに二人に一人は一年後に死ぬ訳だ。
ガンについて全く無知だった私は、娘が買ってくれた本でそのことを知り真っ青になった。
確かに20歳からタバコを吸い始めて42年、若い時は「ハイライト1箱」だったが昨年7月時点では、
「マイドルセブン1mg」が2箱になっていたのでガンに侵されても不思議はなく自業自得なのだが…。しかし何の自覚症状もないので、本当にガンになっていたことを驚き恐れて、慌てて主治医に「診断に使ったCTは1ヶ月前のものだから…」と再検査を要求したのだった。(発覚から検査までの1ヶ月近く、娘の知り合いからメシマコブがガンにアポトーシス効果を期待出来ると言うので飲んでいて、一縷の望みを託したのだ)
その結果、左肺に転移していると思われた小さな影が、変化がなかったのでステージ3bに変更してくれ、急遽、放射線が加わっての治療に変更となり、5年生存率(64%)の仲間入りしたものである。
(この放射線もアポトーシス効果があるため、今から思えば、こうして元気でいられるのは、放射線や諸々の効果が相乗的にあったお陰で、ヘタに初期で手術でもしていたらば、体力が相当消耗していたかも知れない)
2)加えて、娘の結婚式が治療開始の1ヶ月後に控えていたので、なるべく髪の毛を残して欲しいと注文を付けたので、若い主治医が数ある抗がん剤の中から悩んだ末に、シスプラチンとパラプラチンを選んでくれた。その甲斐あって、頭髪は少し抜けただけで式に出られ、娘には随分心配させて迷惑をかけてしまったが、なんとか良い結婚式になった。
3)その上私は運良く抗がん剤の副作用があまりなく、その分体力の消耗も少なく、白血球も減らず、回復力が強かったのもラッキーだった。
ただ、正月明けに治療の後遺症でホルモンのバランスが崩れて、抗がん剤や放射線跡を異質物と勘違いして、免疫が自分自身の肺を攻撃してしまうため、咳をするたび肋骨が折れるような死ぬ思いを味わった。
退院時に、風邪だけは気をつけて、との短いメッセージが主治医からあったが、その意味を体で教えられた。
だが一年経って振り返ると、結果的にはこの治療が私にはぴったり合ったようだ。
退院後の過ごし方の指導など一切ないので、自分流に良いと思われるものを本などから取り入れてやる以外なかった。
出来るだけ規則正しい生活を心がけ、午前6時に起床し、朝晩食事前に野菜ジュースで「補中益気湯」(最初は『十全大補湯』)を飲み、ラジオ体操10分し、チワワとトイプードルの散歩を30分。白米から玄米食に変え豆腐納豆白身魚を中心に、塩分肉類は極力控える『今あるガンが消えていく食事』(済陽先生)を実践している。
また、『体温を上げれば健康になる』から学んだ、白湯飲みや3日毎の一万歩散歩や、深夜のストレッチなど、ひまさえあれば」体を動かしている。
温熱療法も在るくらいなので、

1)昨年7月、殆ど無症状で健康そのものにもかかわらず、肺ガン発覚。

(ステージ3b。右肺門部気管支を覆う4cm大の肺腺ガン)

脊髄に隠れて20年以上かかって大きくなっていたらしく、これだけ進んだ現代医学を

持ってしても、医者は肺は死角が多いから見つけにくいと言い訳するのだが・・・

 

それにしても、3年前に右肺下部に2mmくらいの影があったので、

3ヶ月毎の追跡 CT検査を1年間していたのに、同じ肺の少し上にある大きなガンを

完全に見落とされており、医師の観察眼の未熟さによる初歩的な誤診である。

それも、40代頃から何回かの人間ドッグで調べた、複数の内科医も含めて

誤診され続けていたのだ。

 

9月〜11月にS医大にて、標準的治療(放射線メインに抗がん剤)を受けて

ちょうど丸1年になる。しかし最初の診断は、4つしかないステージの4であった。

(要するに末期により近いガン)。

治療方針は抗がん剤のみで、このステージだと1年生存率が50〜60%しかない。

と言うことは、2人に1人は1年後に死ぬ訳だ。

ガンについて全く無知だった私は、娘が買ってくれた本でそのことを知り、真っ青になった。

確かに20歳からタバコを吸い始めて42年、ガンに侵されていても不思議はなく

自業自得ではあるのだが・・・

 

しかし何の自覚症状もないので、末期に近いガンになっていたことに驚き恐れ、

午後から初期治療方針の実行される日に、慌てて主治医に

「診断に使ったCTは1ヶ月前のものだから…」と再検査を要求したのだった。

発覚から治療計画の出るまでの1ヶ月近く、娘の知り合いからメシマコブ(コアメイト)が

ガンにアポトーシス効果(ガンに死ねと指令を出す)を期待出来ると言うので、

一縷の望みを託して飲んでいたのだ。

その結果、左肺に転移していると思われた小さな影が、

わずかながら小さくなっていて転移の可能性が低いので、ステージ3bに変更され、

急遽、放射線が加わっての大幅な治療変更となり、5年生存率(64%)への

仲間入りしたものである。

 

今こうして元気でいられる要因の1つは、不幸中の幸いにも進行の早い小細胞ガンではなく、

肺腺ガンだったことと、手術をせず体力の消耗が少なかったこと、

無謀と思える直訴によるステージ変更で放射線治療が加わり、

そのアポトーシス効果が功を奏したことだ。

 

2)加えて、娘の結婚式が治療開始の1ヶ月後に控えていたので、

禁煙は3ヶ月前にすでに成功していたのだが、なるべく髪の毛を残して欲しいと

注文を付けたので、若い主治医が数ある抗がん剤の中から悩んだ末に、

シスプラチンとパラプラチンを選んでくれた。

その甲斐あってか、頭髪は少し抜けただけで式に出られた。

結婚式前の娘に随分心配させて迷惑をかけてしまったが、なんとか良い結婚式になり、

父親としてはそのことが一番ホッとした。

 

3)その上、私は運良く抗がん剤の副作用があまりなく、その分体力の消耗も少なく、

白血球もあまり減らず、回復力が強かったのもラッキーだった。

 

4)放射線は週5日、1回2gryを30回、計60gry、抗がん剤は2週間毎に6回であったが、

放射線は毎回1分照射、抗がん剤は2週間に1回・3時間だけの点滴で、

他には何もすることがなかった。

日中は運動不足を恐れ、霊安室以外の地下2階を除き、10階までを

ただただ歩き回っていたが、深夜トイレに行くと、

洗面台に抗がん剤の副作用で抜けた頭髪がそのまま放置されていたり、

慌ただしく医師や看護婦 が集まる部屋があり、次の日ベッドが空くのを何度も目撃した。

このまま病院に いたら本当に病人(?)になってしまいそうで怖くなったので、

3ヶ月の入院予定を保険金の支払いが少なくなるのを承知で、

家内に我がままを聞いてもらい、1ヶ月で切り上げて退院し、

外来診療に切り替え、残り4回の抗がん剤を通院して受けたのだった。

普段の生活に戻れたことで、生活の質(QOL)は格段に良くなり、

精神的には随分楽になったことで、免疫力はかなりアップしたのでないかと思われる。

 

ただ、正月明けに治療の後遺症でホルモンのバランスが崩れて、抗がん剤や放射線跡を

異質物と勘違いして、自分自身の肺を自分の免疫が攻撃してしまうため、

咳をするたび肋骨が折れそうで、死ぬような思いを味わった。

退院時に、「風邪だけは気をつけて」、とだけの短いメッセージが主治医からあったが、

その意味を体で教えられたのだった。

 

退院後の過ごし方の指導など一切ないので、自分流に良いと思われるものを

本などから取り入れてやる以外なかった。出来るだけ規則正しい生活を心がけ、

午前6時に起床し、朝晩食事前に野菜ジュースで漢方薬(体に優しく安い)「補中益気湯」

(4〜8月は『十全大補湯』)を飲み、ラジオ体操を10分し、犬の散歩を30分。

白米から玄米食に変え、豆腐・納豆・白身魚を中心に、塩分肉類は極力控える

『今あるガンが消えていく食事』(済陽先生)をなるべく実践し、

劉影先生の中国4千年の同源医食の基本中の基本、「山薬(長芋)」

(山芋ー自然ステロイド含有)もなるべく食べて血行を良くして免疫力を高めている。

また、アホエン(ニンニクエキス)、EBIOSビール酵母は毎日、

丹羽免疫研究所のSOD様食品は時々食べ、

『体温を上げれば健康になる』から学んだ、白湯飲みや、3日毎の1万歩散歩や、

深夜のストレッチなど、暇さえあればなるべく体を動かすようにしている。

ガンは42.5度で死ぬと聞き、温熱療法もあるくらいなので、

43度の風呂に5分以上つかるようにしたりと、自分の感性に合うものはすべてやっている。

民間療法はエビデンスもなく一切ガンを治せないと医師に言われながらも、

ハイそうですかと、何もしない患者は少ないだろう。病院仲間もみな必死で

自分の納得できる民間療法を探してやっているようだ。

 

また、心配してくれた友人から教わったのだが、地球上の空気を全部吸い込んだり、

吐いたりするイメージの腹式呼吸法 は、宇宙空間の浮遊感を味わえ、

メンタル面では副交感神経になり大変効果的だ。

4月からは、生き甲斐である好きな仕事にも元気に復帰 出来ており、

免疫力はさらにグレードアップしたと思える。

 

結果、4cm大だった原巣が治療後の11月には2cmになり、

その後の放射線のアポトーシス効果もあり、最近のレントゲンでは、

1.5cm くらいまで縮小して見え、奇跡的ですらあるようだ。

それに、1月の放射線・抗がん剤の副作用である自己免疫過多で、

右肺の4分の1は肺腺維症になり、レントゲンでは白くなるはずなのだが、

その部分までがクリアになってきている。

 

全く未知の死の世界に踏み込み、試行錯誤で過ごした長い1年を振り返ると、

結果的にはこれらの免疫力アップ生活が、私には運良く合っていたのかも

知れないと思えるようになって来ている。

ただ、目覚ましい革新的進歩の最新治療を、今のように高額でなく、

より早く保険適用にして、誰にでも安く受けられるようにしてもらいたいものである。

まして、まだガンは残っているので完治は無理にしても、いつ転移やリバウンドが

あるかも知れず、出来るだけ遅らせるように、

より効果的にガンを押さえ込んでくれる休眠療法をやって頂いて、

今の健康的なQOL(生活の質)を1日でも長く保ちたいものである。

 

 

5 件のコメント »   |   体のこと

孫まご日記−2009.10.10

2009年 10月 10日 — 12:06pm

 

カノン表情-10月

 

ー 月花より 主治医にまさる  薬かな ー

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