楓大介さんの一枚の写真

 

食べられない子

岩手県盛岡市藪川の小学校の昼食風景(弁当を持って来れないが子が沢山いた)

1965年 楓大介撮影

 

小学校給食-30年代-1

1955年頃京都の小学校での給食風景 撮影者不詳(左手前が私)


まだ決まった訳ではないので詳しくは書けないのだが、以前、写真家楓大介さん

『白州正子の「かくれ里』を行く』の装丁デザインをさせて頂いたご縁で、

楓さんから出版したい本の企画があるので相談に乗って欲しい。との電話を頂いた。

 

40数年前に、写真専門学校の卒業旅行で撮影した 写真がきっかけで、

給食が出来ない盛岡の寒村に、当時の総理大臣肝いりで給食が実施された

実話をまとめた原稿なのだが、

読んで驚いたのは、戦後の復興から立ち直った昭和40年頃に給食も

食べられない子供たちがいたことと、

時の総理大臣を動かしたきっかけを作ったのが、プロカメラマン前の若き楓氏だったこと。

私は終戦直後に京都で、漆塗り職人の三男に生まれた。

長年、貧しいとばかり思い込んでいたが、彼らに比べれば

とんでもなく豊かだったことが知れ、恥じ入った次第である。

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