音楽は喜びの伴侶、悲しみの薬

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季刊「銀花」160号


表紙構成:杉浦康平


特別付録

創刊40周年記念、2010年カレンダー

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音楽は喜びの伴侶、悲しみの薬

山梨に古楽器を訪ねて (126p-135p)    文=徳井 いつこ 写真=後勝彦

 

◉すぐれたチェンバロ奏者でもあったバッハの遺産目録には、チェンバロ五台の他に、

リュートが一本、そして“ラウテンヴェルク”と呼ばれる幻の楽器がニ台含まれていた。

ラウテンヴェルクは、リュートの音色を再現するために彼が特別につくらせたという、

ガット弦を張ったチェンバロである。おそらくバッハは、リュートの響きに並々ならぬ

憧憬を寄せていたにちがいない。◉リュートとチェンバロ—–バッハを魅了した古楽器

のつくり手たちが、山梨に暮らしている。八ヶ岳を望む白州に、リュートを手がける

山下暁彦さん、緑深い牧丘に、チェンバロを製作する野神俊哉さんを訪ねた。

(本文リードより)


リュート、バロックギター/作・山下暁彦  チェンバロ/作・野神俊哉


リード】
アンナ・マグダレーナ・バッハの『バッハの思い出』のなかに、微笑ましい一節がある。粉屋でパン焼きだった曾祖父について、J・S・バッハが好んで話したという下り。
「曾祖父ファイト・バッハの何よりの楽しみは、いつも小さなギターを抱えて水車小屋に行き、粉がひかれているあいだ奏でていることだったとか。“きっとうまく調子が合ったことだろうよ”とセバスティアンは微笑しながら申しました。バッハ家では、良い人とは、いわば子どものように音楽好きなことを意味するのです。水車に拍子を合わせて音楽を奏でていた先祖の思い出は、セバスティアンにとって、一生のあいだ、つねに心の慰めであったようでございます」
すぐれたチェンバロ奏者でもあったバッハの遺産目録には、チェンバロ五台の他に、リュートが一本、そして“ラウテンヴェルク”と呼ばれる幻の楽器がニ台含まれていた。ラウテンヴェルクは、リュートの音色を再現するために彼が特別につくらせたという、ガット弦を張ったチェンバロである。おそらくバッハは、リュートの響きに並々ならぬ憧憬を寄せていたにちがいない。それは粉屋の先祖への共感に、どこかしら似ていたかもしれない。
リュートとチェンバロ。
バッハを魅了した古楽器のつくり手たちが、山梨に暮らしている。
八ヶ岳を望む白州に、リュートを手がける山下暁彦さん、緑深い牧丘に、チェンバロを製作する野神俊哉さんを訪ねた。
リュート製作者・山下暁彦 チェンバロ製作者・野神俊哉
文=徳井 いつこ 写真=後勝彦【リード】

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