Archive for 3月 2010


3月2日ー引っ越しと校了が重なって

2010年 3月 5日 — 12:35pm

 

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「歌舞伎のチカラ」市川染五郎著 集英社 3月26日発売予定

 

一昨日は引っ越し日であったのだが、2月中旬に佳境だった3月26日発売予定の、市川染五郎著「歌舞伎のチカラ」(集英社)のカバーの色校正と重なって、引っ越し真っ最中だが力仕事は若いスタッフと息子に任せて近くの喫茶店で校正することに。と言うのも初校時には、最近出来たばかりの不思議な紙を指定したのだが失敗で時間的に余裕が無くなったためだ。

恵比寿西の五叉路の広いカフェだが、結構客が多く落ち着けなかった。それにパソコンで確かめられないので細かい指示が出来ない。全く偶然なのだが、同じ編集女史の「パンダフルデイズ」の仕事の時も、丁度色校正の日が、2年前の肺ガン疑惑生体検査入院から戻った日で、ご迷惑をかけっぱなし。
それでも懲りずに楽しみな仕事を

 

恵比寿五叉路近くの広いカフェだが、結構客が多くて落ち着けなかった。それに肝心な所がパソコンで確かめられないので細かい指示が出来なかった。大変申し訳ないことをしてしまった。全く偶然なのだが、同じ編集女史の「パンダフルデイズ」の仕事の時も、丁度色校正の日が、2年前の肺ガン疑惑による生体検査入院から戻った日で、ご迷惑をかけっぱなし。それでも懲りずに楽しみな仕事を依頼して頂いた編集女史に幾ら感謝してもしきれないくらい。体の不安を忘れて楽しい仕事に全神経を集中出来ると言うのは本当に幸せなことで、免疫力アップにも相当効果があるようだ。

この単行本は、市川染五郎が歌舞伎を堪能するためのイロハを、革新的発想力と話芸で楽しく教えてくれる本です。普段見られない楽屋裏や、息子金太郎の初舞台の化粧している様子を携帯で撮影している姿などのカラーグラビアページが16ページ挿入され、とにもかくにも今が旬の魅力を満載した四六判変型240ページです。

 

Webデザイナーをやっている長男の仕事場(恵比寿は活気があって良い)に合流した訳だが、私の引っ越しはこれで最後になりそうで、長年の大荷物も大半は処分して随分身軽になった。これ以上ご迷惑をかけることにはならないと思いますのでまた宜しくお願いします。

 

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目黒惜景

2010年 3月 4日 — 1:19pm

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上の写真は目黒駅から会社に行く途中の小道から見える。五反田の大日本印刷ビルと学研ビルである。どちらも小社  長年の大クライアントであり、恵比寿に超すことになり見えなくなるので誠に寂しい限り。

下右の写真は、庭園美術館正門脇のカフェレストラン「cafe 茶洒 kanetanaka」。 老舗料亭「金田中」が手がける和のカフェレストランで、ここも夏場は良く昼食ランチを風に吹かれながら食べさせて貰った。下左はまだ出来たばかりの「PANDA INN」だが、おいしい飲茶を食べさせてくれる。ここに早めに行って編集会議などもさせてもらったので、思い出の場所になりそうである。ただ、食べログ グルメレビュアーの「から吉」さんの評価だと、おいしいが場所が場所だけにいつまで持つか心配されているよう。強面のおじさんがご主人だが、心根はとっても優しくお人好し。

「パンダフルデイズ」(2009年4月2日のブログ)繋がりで、頑張って! また行くからね!

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銀花、最後の夕べ

2010年 3月 1日 — 1:08pm

 

季刊「銀花」161号最終刊(文化出版局・2月25日発売)

季刊「銀花」161号最終刊(文化出版局・2月25日発売)


季刊「銀花」161号最終刊(文化出版局・2月25日発売)
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初台、蘭蘭酒家別館にて。(杉浦康平氏、高田宏氏、大谷一良氏と青戸銀花編集長)

 

2010年2月27日午後5時。銀花編集部の銀花終刊『感謝の会』に出席させて頂いた。この記念すべき日に、ふ、不覚にも、いつも持ち歩いているブログ用のデジカメを忘れてしまい、やむなく携帯カメラでのスナップショット。巨匠小林庸浩氏に後勝彦氏がおわす会を、こんなボロボロの画像で紹介して大変お恥ずかしいかぎりで、申し訳ありません!

 

乾杯の挨拶では高田宏氏が「40年前に船出した銀花号は、多くの夢やお金で買えない財宝を満載した宝船になり、ようやく大航海を終え帰港されました。その大航海を祝して乾杯!」

 

杉浦先生は77歳でありながら、いつものように背筋をピンと伸ばし、ニコニコとお元気そのもので、「銀花は1年毎に号の色を変えたり、いつ終わっても良いような設計を1970年代初頭にしておいたものですから、そんなに悲しくはありません。」・・・と。

本心は読めないが、悲しみは我々の2倍も3倍もあったであろうことは、この会に出たくないと駄々を捏ねておられたご様子で、推察出来る。

 

美味な料理に感嘆しつつ、出席された20数名の紹介とコメントが進行し、私に回って来た頃にはハンカチが相当濡れていた。それでもなんとか、前日電話で約束した友人平岡正氏の伝言である「23歳の時に出会い、63歳になりましたが、銀花と出会えたことは大変幸せでした。ありがとうございました!」の感謝の言葉だけは忘れずに紹介させて頂いた。

 

宴が終え、杉浦先生がお一人で店を出られたので、私が甲州街道までお見送りしたのだが、そのスタスタ足早に歩かれる後ろ姿は、新たな地平に何処までも挑戦しつづける巨人そのものでしたし、今日出会ったみんなも自分のスタンスで思いっきり歩き続けなさいよと暗示されいるようでもあった。

 

追記ー下の写真は後日、山室眞二さんと島田薫さんから送って頂いた写真です。


後日、山室眞二さんと島田薫さんから送られてきた記念写真

 

 

 

 

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