寒桜すでに散り

 

 

さあ寝ようとベッドに横になった時メールの着信音。今ごろ誰?と開いてみると闘病仲間から。2週間前に『調子はどうですか?』と入れたメールの返信だと思い横になったまま読むと《息子の○○と申します。父は1月11日に亡くなりました。》で始った。驚いて飛び起きて読み返した・・・。1月4日には『全体の体調は良くありませんが、新年明けましておめでとうございます』と年を越せたことをお互いに喜びあったのに、その1週間後に亡くなっておられたとは全く考えもしなかったので突然のこの報告は大ショックだった。

 

闘病仲間と言っても5年目ともなれば10F病棟での知り合いは殆どの方が亡くなられていて、現在も励ましあえる仲間はかろうじて2人で、その中の1人だった。1人は昨年夏に森林公園でサイクリングをした新幹線の運転手(68才)だったが、この方はバスの運転手(66才)をやっておられ、鎖骨のがんが原発巣からの肺がん転移の患者だった。バイクのツーリングが趣味で10Fから見える山々は殆ど走破しましたと自慢されておられた。

 

お2人とも2010年10月にセカンドステージの抗がん剤治療で知り合った。朝のラジオ体操に積極的に参加されたり時間があれば一緒に階段を上り下りして運動したり談笑したり・・・

話好きで明るく楽しい人柄だった。副作用や痛みが増してきた昨年秋あたりには「もう抗がん剤治療はこりごりなので断りました」と死を覚悟されていたようだったが。最後のご様子をいつも寄り添っておられた奥様にお聞きしたかったのだが、《ご連絡遅れて申し訳ございません。母も体調崩し入院しているのでメールでのご報告お許し下さい。》とあり断念せざるえを得ない。最後にお会いしたのは昨年12月14日院内カフェで食事をご一緒したがそれなりに元気そうだったのでにわかに信じられない。1人でこのショックを抱えきれないからものだからスピード狂の仲間に報告したが、「仕方が無いよ。ここまで来たら根性で彼の分まで出来るだけ長く生きようよ!」であった。

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