Archive for 8月 2013


快適な日々

2013年 8月 24日 — 10:04pm

 

◉少しずつ新居が落ち着きつつ快適な暮らしにも慣れて来た。ほんの少しスナップを。

 

◯2世帯用のマルチ収納下駄箱には飾棚があり、中央には季節がら鈴虫の籠を飾る。飛騨高山のロケ時に精巧に作られた二匹の鈴虫の技と涼やかな音色に魅せられて買ったが、悔やしいかなmaid in kyotoであった。

 

◯左の青貝螺鈿黒漆時計は小生の漆作品「久 kyu」1984。29年経った今も貴重な時を刻んでいる。奥は同じく青貝螺鈿黒漆花器。眠っていた作品達を生かせる場が出来て嬉しい。

 

 

◉昨日の血液検査の結果

 

◯CPK【筋肉障害】93から554と急激に上がったが119と普通の数値に戻り、腰が少し痛む程度に回復。 

 

◯クレアチニン 1.25→1.14→1.10と3週下がっていたが今回は1.18と少し上がる。水分を摂り損ねたかちょっと腎臓が疲れたか?

 

◯CRP【感染症】0.7→1.9→今回1.0と少し高目で推移していてここ2年一向に0.3以下に下がらなくなった。

 

◉27クールも昨日3回目が終了しこれで2週間ひと休み。この夏ももう少しで乗り切れそうだ。

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引っ越しとCPK

2013年 8月 17日 — 10:45am

 

 

◉7日に立秋したとはいえ35度を超える猛暑の中、予定通り一期工事の新築が完成したので13日の朝8時自宅への大物荷物の引越しで業者が始動した。前後1週間ほど身辺の荷物の整理・移動・開封など無理しない程度にボチボチ手伝い15日には大体片付いた。ただ二期工事の外構周りが基礎程度で、電柱の移動も残っていて今月一杯はお披露目は出来そうもない。

 

◉玄関の前に飾った鉢は、絵屋 藤井克彦氏の30年前くらいに銀花コーナーのギャラリー個展で買い求めていた砥部焼の大鉢。長らく庭で雨ざらしだったが目線が少し高い階段なので側面が良く見えるためようやく出番ができたのは嬉しいかぎりだ。

 

◉引越し騒動で9日に受けたゲムシタビン(ジェムザール)の副作用などすっかり忘れていて27クールの2回目を受けに行った昨日の血液検査結果は。

 

1)筋肉が壊れてた

 

◉血液検査でCPKが554と(前回93。170が普通上限)上がっていて主治医が驚いたように

 

「筋肉が壊れていますよ。どうかしましたか?」

 

私「新しい家に13日に引越しでしたので荷物運んだりしたものですから・・・」

 

主「成る程、それで納得しました。運動選手でも激しい運動するとこんな数値が出ますが、休めると元に戻りますよ」とのことだった。

 

どうりで先々日何かにつまずいて横倒れになる際、両手両足の筋肉が何も動かずドサッとそのまま倒れたことがあった。筋肉が壊れていたのでは意志通りに動かないはずだ。3回目の新築住まいの幸運のあまり、知らぬ間にハシャギ過ぎていたようだが軽い打撲で済んで良かった。

 

◉毎週50項目くらいの血液検査情報の中でCPKを注目したのは今回が初めてだった。本当にこの表は奥深い。CPKは筋萎縮症などの症状でも上がると知り、専門外になると何も知識がなくADSLで闘っている人々に失礼なことをしたような気がした。

 

2)「クレアチニンがまた下がってますので(1,28 → 1,25 → 1,14 → 1,1)本日も問題なく進められますよ」

 

3)「ただ骨髄抑制の副作用で血球サイズが小さくなって貧血気味が続いていますし、CEAが10,7 → 13,3 → 16,7と徐々に上がっています。ただ3桁に上がる人もいるくらいですのでまだ大丈夫ですが画像検査もそろそろ考えましょう」

 

「ただ腫瘍マーカーもたくさん測れば、一つ二つ多少の異常値が出て来ることは珍しくありません。しかしがんが発見される訳ではありません」

 

 

◉74回目も午前中に無事済んだが「筋肉が壊れていますよ」の一言に軽いショックを受け、新居に戻り水分をいつもより多めに飲み(1日2l以上目標)ロッキングチエアーで早めの昼寝と決め込んだ。実に気持ちの良い寝覚めではあったが。

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関東大震災と父

2013年 8月 10日 — 11:20am

宮崎駿監督制作 【風立ちぬ】の関東大震災の1シーン

 

◉1923年(大正12年)9月1日、関東地方南部を襲った大地震により、死者・行方不明者10万5千余り、家屋の全壊10万9千、焼失21万2千という未曾有の大災害がもたらされた。宮崎駿監督制作の【風立ちぬ】の時代背景でもある。家屋が津波のように隆起して倒壊するシーンは圧巻で、思わず「アッ!」と息を呑んだ。そして逃げ惑う大群衆を描いたシーンではゴミのような人間でも全部動いていて数秒のシーンに膨大な手作業の時間を割いていて臨場感を醸しており亡くなった方々へのオマージュにも見えた。

 

◉この小さな群衆の中に17才の私の若き日の父を見た。山のような反物を大八車に積んでいて燃えないように川に飛び込んだらしい。詳しい話は良く覚えていないのだが、長男が産まれて京都から上京したおり靖国神社に参拝し、帰りの参道でポツポツ聴いた記憶が急に蘇ったのだった。

 

◉祖父が彦根で塗師屋をやっていたがその跡を継ぐのがよほどイヤだったのか、大きな夢を抱えて東京に出て来ていたのか、日本橋の呉服屋の丁稚奉公をしていてこの大震災に遭遇したのだ。この震災でご主人を失い京都に墓があることからか、このあと京都で塗師屋として跡を継いでいる。3代目を長男の兄が継いで今も元気に仕事をしているが4代目の跡目はいない。残念ではあるが仕方がない。何かを言う資格もない。余談だが祖々父が彦根藩の駕篭かきをしていて明治維新後、警察官になったことを父は良く自慢気に話していたことも思い出した。

 

◉(追記)母は琵琶湖を挟んで彦根の反対側の滋賀県高島市(旧海津町・マキノ町他)の農家の出であった。小さい頃に夏休みに実家に行き石臼を挽いた記憶がある。[白州正子の「かくれ里」を行く](楓大介写真集)のブックデザインをした折に、今は「かくれ里」になっているが太古にはかってこの一帯は重要な拠点で白州正子が大変好んでいたことを知り、嬉しくもあり懐かしくもあり、出来ることならもう一度訪ねてみたいと想ったが叶いそうもないようだ。

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スーパーレントゲン出現

2013年 8月 6日 — 10:10am

 

◉昨夜8月4日(日)18:30~19:00 TBSの夢の扉+【命を守るレントゲン革命】を見て驚いた。なんとMRIの100倍鮮明なスーパーレントゲンが開発されたのだ。それも5年後の話ではなく、今あるレントゲン機器にモアレを作る金板を取り付ければ即実用化出来るのだ。100年以上変わらなかったレントゲン技術に革命をもたらしたのは、東北大学 多元的物質科学研究所  教授百生敦さん。

 

スーパーレントゲンを使って見えない病気を早期発見、早期診断!し、世に役立てようと各所で臨床試験中だ。

 ◉名古屋医療センターでは  乳がん検診はマンモグラフィを使うが、若い女性の場合ガンと乳腺との区別がつきにくい。百生は、従来のレントゲンが苦手だった柔らかい組織の映写を克服

 

◉埼玉医科大学病院では  スーパーレントゲンによる関節リウマチの臨床試験の結果、軟骨の厚みがわかるほど鮮明な画像が撮影でき、医師たちも「初めて見る」と驚いた。臨床試験が行われた埼玉医科大学病院では、医師たちがスーパーレントゲンを使った関節リウマチ早期発見に乗り出した、とのこと。

 

◉大学のみならず町の病院などでも早く導入出来れば、CTなどでも大きながんを見落とすヤブ医者達や貧乏な患者に大いに役に立つのだが・・・

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