Archive for 9月 2013


腫瘍マーカー5年経過グラフ

2013年 9月 29日 — 11:28am

 

 
◎仲秋の満月もお彼岸も過ぎ、アッと言う間にすっかり涼しくなってしまった。呼吸や痰が少しツライ時があるが日常生活にはほとんど支障なく新居生活を楽しんでいる。
 
◎5年間の3種類の腫瘍マーカー【SCC・CEA】(SLX【肺腺がん・消化器がん】は5年間危険数値は出ていないので割愛)のデータをグラフ化してみた。素人だが患者の立場で抗がん剤との相関関係を検証してみた。
 
◎なかでも上図SCC 【扁平上皮がん】は治療前から危険数値を超えていて、初期治療から1年後くらいから上昇し始めた。セカンドステージで抗がん剤【アリムタ】をやると一気に下がったが、4ヶ月後には早くも再上昇し始めた。急きょ【ゲムシタビン】に変えると一進一退を1年繰り返した。が、昨年夏辺りから急上昇。そろそろゲムシタビンが効かなくなって来たかなと思っていた。2012年11月後半から半年間抗がん剤を休んだので体から薬が完全に消えて薬効が戻ったのか、再開した24クール目は副作用が酷かったがマーカーも一旦下がった。最近また上がり始めたがなんとか27クール目で下がっている。全体の流れを見るとこんなことを繰り返しながらジワジワ上昇して行きそうなグラフである。
 
CEA【肺・大腸・胃がん】は4年間は静かにしていてくれたが、半年ほど前から急激に上昇しはじめている。CTやMRIには捕らえきれていないがどこかで増殖していることは間違いないのでないかと思えるほどの上昇ぶりだ。
 
◎腫瘍マーカーは恐ろしい数値でもがんではなかったりもすることもあって、あくまで目安なので一喜一憂しないようにしているが、毎回注射針を射して血液検査(だんだん血管が弱って来てもいる)をしているのだから大いに参考にして役に立てたいものだ。

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新居完成

2013年 9月 14日 — 4:32pm




◉遅れていた二期工事の外構がやっと仕がった。狭いながらも駐車場も確保し、全体的にはまずまずの仕上がりでよほどの天変地異が来ない限り今後半世紀はこの家なら大丈夫だろう。家人がモデルハウスに住んでいるみたいと言っているが馴染むまではまさしくそんな感じだ。雨戸は音も静かに電動で閉まるし、ホールやトイレには人を感じて照明が点くセンサーがついていて何回も起きる寝ぼけまじりの夜中のトイレでは大いに助かっている。

◉目一杯に建てたので地植えの庭木がなくなって鉢物だけになったが、雑草の手入れなどして十分自然を感じられるし面倒な花掃除もしなくても良い、一石二鳥ではある。7年後の東京オリンピックを何がなんでも見たいとは思わないが余生を楽しむには充分な終のすみかとなった。

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5年生存率クリア記念日

2013年 9月 9日 — 11:45am



◯今日9月9日は重陽の節句だが、私にとっては特別の日だ。2008年のこの日に【肺がん初治療】を開始してから丸々5年になるからだ。当初の治療計画であったステージ4期での白金製剤を含む化学療法を受けていた場合【1年生存率は約40〜50%】、手術の出来ないステージ3期で放射線療法と化学療法の合併療法を受けた場合【2年生存率は約30〜40%】。どちらも生存していられる確率の低さに恐れ慄いていたのに、どうした事か幸運にも【数%の確率の5年生存率】に仲間 入りをしてしまった。日本では根治手術が主流だが、アメリカ・ヨーロッパ では放射線治療も根治治療の手段として人気が高いようだ。 体力に負荷をかけないでQOLを高めつつ長くがんと共存しようとの考え方だ。運良く生き残っている経過をふり返ってみると

◯2008年

7月12日: 近くのN診療所所長がこじらせた風邪のレントゲンを見てがんを疑う
(この診療所で30代後半に右肺下に5mmほどの影が見つかりCTを3年撮って経過観察したが、10cm上にあるがんを30年近く見過ごされていたことになる)
7月30日: S医大呼吸器外科へ紹介状
8月04日: PET検査(右肺に約4cm大、左肺に2mmほど光る)
8月07日: S医大に検査入院 内視鏡生検
8月14日: S医大 呼吸器外科 N教授から「肺腺がん」と告知される。
放射線治療は「肺腺がん」よりも「扁平上皮がん」に効果があるためその後の経過が順調なので 「扁平上皮がん」だったのではと言う主治医(現在4人目)も いる。
9月09日:S医大へ2ヶ月半治療入院。抗がん剤(ドセタキセル+シスプラチン)+放射線(2gly×30回=60gly)同時併用治療 開始

◯最初ステージ4期との診断(PETで左肺にも小さく光る箇所があり転移とみなされ)当初の計画では抗がん剤の治療のみだった。しかし娘の結婚式が1ヶ月後に迫っていて、それでは髪の毛が抜ける時期に重なる。めでたい席で京都・四国・九州の遠方からの縁者に余計な心配をどうしてもかけさせたくなかった。なので初期治療を午後から受ける9月9日の朝早く若い主治医に「髪の毛が抜けない治療にして欲しい」と嘆願した所、ステージ3に引き下げ【放射線治療をメインにし抗がん剤を弱目】の治療計画に変更して頂いた。この治療変更が私の生死の大きな分かれ道になるとはその時点では知る由もなかったが•••

◯2008年12月:遅きに失するがセカンドオピニオン外来を東大緩和ケア部長の中川恵一教授に受ける。曰く【受けた治療はおおむね正解でしょう。それでも人間はいずれ死にますから美味しいワインでも飲んで余生を楽しんで下さい。その後に出て来たものはモグラ叩きでやっつけましょう。】とのアドバイス。思いつめていたものが軽くなり上手く解脱させられたようだ。

◯2009年1月:放射線療法の副作用で放射線肺炎発症。右肺の下1/3は肺繊維症で諦めて下さいと言われたがステロイドを半年ほどでいつの間にか元に戻る。

◯2010年10月:原発巣が進行したため再度2ヶ月抗がん剤治療入院。新世代の抗がん剤アリムタを3回受けて退院。外来化学療法室にて3回受けるがどうも私の身体には合わなかった。

◯2011年3月:突如CEAが20.4に急騰したのでアリムタを中止しゲムシタビン(ジェムザール)に変更。副作用が大変少なくしかもアリムタの1/3の薬代だったのでおおいに助かった。

◯2012年11月〜2013年5月までの半年間はクレアチニンが上がり腎臓を守るため抗がん剤休止。


◯2012年12月:ブランハメラ肺炎球菌に感染喀血するも運良く生還。右肺上部1/3が気管支が塞がり無気肺になるものの3ヶ月で回復。

◯2013年5月:腎臓が悪くなると簡単には良くならないものだが食事や散歩・ラジオ体操・R1が功を奏したのか下がってくれゲムシタビンを再開し、現在28クール目を更新中。ただし再開し始めた24クールは激咳・激痰・発熱に苦しめられた。それだけ薬が強力で効いている証拠なんだろう。しかしロキソニンを服用したらアッという間に改善した。

◯2013年9月6日:ゲムシタビンがよほど私の身体に合っているのか、上図3日前の血液検査でも8ヶ月上がり続けたCEAがようやく下がり有効性を印象付けられた。ゲムシタビンは普通4クール、長くても10クール以上続けられる人は少なくエビデンスはとっくに無いだろう。記録をどこまで伸ばせるか解らないが効いているからには続けるしかないのだろう。

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快適な日々、続

2013年 9月 4日 — 8:56am

 

◎引っ越し騒ぎでパソコンまでダウンしてしまい更新が遅くなった。仕方なく捨てようと思っていた相当古いG4(MacOS 9.1)を引っぱり出してなんとか更新することに。

 

◯前の家には段差が随分あって孫達には危ない目にあわせたが今度の家は全てバリアフリー。階段には手すりもあるので大いに助かっている。琉球畳みと猫間障子になった和室にはバリ爺々と呼んでいる木彫像が目立っている。4~5回行ったバリ島で先輩S氏と北部キンタマーニ高原にあるバトゥール湖畔にある店で求めたものだが、バトゥール山から昇る感動的な朝日を見たり、バリ島の先住民族バリアガの人々が暮らすトルーニャン村の『風葬』を見学したりした大変思い出深い像。下段朱色の大きめの香合は長兄の作で「朱塗鳥獣戯画根来風香合」

 

◯1Fトイレの飾り棚には、艶消し黒乾漆粉仕上げの自作花器「雲山」を置き、朝散歩で摘んだ雑草などを活けては愉しんでいる。

 

◯2Fは広めのワンルームで南面には雨の日に干し物が出来るinテラス、コーナーには供え付きの子供用の勉強机。この一角に照明スタンド「螢(KEI)」、今は「宙(SORA)」に変えて眺めている。3Fは子供部屋と娘夫婦の寝室だが我々年寄りにはチョット辛いし、昼間は相当暑い。なんとか乗り越えられた夏だが竜巻や台風でかしましい。早く涼やかな風が吹いて落ち着かないかと願う今日この頃だ。

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