大内義昭氏逝去
◉北九州市在住の音楽プロデューサー、大内義昭氏が5月22日に食道がんで亡くなっていたのをFaceBookで今朝知り、最初は嘘だろーと目を疑うほど驚きました。がんが見つかるのが相当遅かったのでしょうが、55才なんていくらなんでも若すぎです! 残念でなりません。
◉大内氏には10年ほど前にCD曲とセットにした絵本の企画でご縁があり、私の試作絵本「いのちはだいすき」に、オリジナル曲を作っていただいたことがありました。とってもピュアで元気の塊魂のような方で、素晴らしい曲を作って頂いたのですが、私の力不足で残念ながら発売までには至りませんでした。大変申し訳ないことをしました。心よりのお詫びとご冥福をお祈りいたします。
本日から松永真のフリークス展
歌集「斎宮の風」
君はきっと死んだことさえ分からずに
桜の闇に佇みをらむ
骨壺の前をウロウロ歩きゐるなぜ死んだかを
咀嚼出来ずに
死の際に「唖(あー)」と遺してわれは逝かむ 夫よ
子たちよ お好きなように
◉先日、某大手出版の編集長であったF氏の奥様から渾身の力作 歌集「斎宮の風」(ながらみ書房)が送られて来た。 F氏は2010年7月に食道がんを発見された。10月に15時間に及ぶ手術した後ICUに1ヶ月。その間4日ほど意識はあったようだが62才の誕生日を迎えることなく不帰の人に。昨日十一月四日はF氏の月命日。歌のように自分が死んだことさえも自覚できなかったようだ。
◉そのお通夜に夫婦で参列させて頂いたが、2008年8月に肺がん4期を宣告されていたので我が身の葬儀も同時に見ているような摩訶不思議な夕べだったことを思い出した。
◉しかし私の場合は6年以上も元気に生きながらえている。がんの巣食う場所・大きさ・種類・転移の有無によってこんなにも違うもので、天のなせる不条理にさぞや嘆かれた事と推察できる。心の内を吐露された激情の歌の数々は、まるで散華のように宙に舞い供えた彼への鎮魂歌。さぞや彼の無念さも癒やされていることだろう。思いのままに歌い継がれて第二歌集も期待したいものだ。
隔世の感あり
◉昨日懐かしい友人が訪ねて来てくれた。40年ほど前に雑木林を切り開いた建て売り住宅に住んだ時、自宅の真ん前に九州出身の牛草さん夫妻がおられ家族ぐるみでお付き合いをしていた。写真下左は1978年息子が2才の頃、牛車さんのご長男ご長女達と兄弟にように過ごし、貴博君(右)兄妹はお父さんの出張土産の民族衣装を着てご機嫌の様子。
◉写真下右は38年経った貴博君で、横浜のどうぶつクリニックの院長先生に成長し、10年前に開業した時ロゴマークやキャラクターCI 一式をプレゼントしたが人柄もあり急成長。軌道に乗った今、彼は最先端のアレルギー・がん治療などの再生医療を研究するべく大学院で若い学生達と一緒に学んでいるとのこと。
◉甥っ子姪っ子が京都西院で料理店,北九州市小倉でラーメン店やもつ鍋店を開業して頑張っているし、アルツハイマー研究の博士がおり、古くからの友人のお子さんたちがミュージシャンや院長先生も・・・。こうして少しづつ良きDNAに変化しつつ時代をつないで行くのだろう。まさに隔世の感ありである。