季刊「銀花」159号/秋【創刊40周年】

季刊「銀花」との出会いは、私が京都から26才で上京して3年後、大手出版社の雑誌のエディトリアルデザインなども初めていた頃である。書店で何気なくとった雑誌の表紙を開くと、和紙の肉筆画が目に飛び込んで来た。手書きの絵が挿入されているなど通常あり得ず、目を疑ったが積まれている別の表紙を次々めくると、富士の絵だったり、可愛いい仏さんの絵だったり、すべて絵柄が違うではないか! この時、佐藤勝彦は7万枚とも8万枚とも言われる絵を、1年間で書き上げたのだった。私は感動し、若くて給料もまだ少ない頃だったが5〜6冊買ったように記憶している。描いた人も凄いが、描かせた編集長も前代未聞、なるほど雑誌は文化だと感じ入った次第で、その証を手元で眺めたかったからである。それから40年近く経ち、その「銀花」のお手伝いを、こうして今だにさせてもらっている縁は、感無量であり望外の幸せである。

 

季刊「銀花」159号(文化出版局) 110p−125p

文化出版局   8月25日発売 (104p−113p)

 

出雲國の風陶人ー 三原研の炻器ー    写真-伊藤千晴 文=片柳草生

『古事記』や『出雲国風土記』にまつわる神話の国、島根県、由緒ある古社が数多く残り、宍道湖や中海などに囲まれたすがすがしき水都、松江。ここで生まれ育った三原研さんは、焼きものを志してから一貫してこの地で製作をしてきた。若い日、都会へあこがれ、最先端のアートを追いかけ、技術を凝らした焼きものを焼いていたが、ある日、自分の内なる出雲に気づく。まぎれもなきおのれの出自、根っこの土地。もっと素直に風土と向き合おう、と。以来、それまでのうわべを彩る装飾表現と決別、自分の声に耳を傾けながら土の魅力と本質を、形と質感に尋ねる仕事へと向かう。生まれてきた焼締めに「炻器」と名ずけて。

(本文リードより)

 

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