関東大震災と父

宮崎駿監督制作 【風立ちぬ】の関東大震災の1シーン

 

◉1923年(大正12年)9月1日、関東地方南部を襲った大地震により、死者・行方不明者10万5千余り、家屋の全壊10万9千、焼失21万2千という未曾有の大災害がもたらされた。宮崎駿監督制作の【風立ちぬ】の時代背景でもある。家屋が津波のように隆起して倒壊するシーンは圧巻で、思わず「アッ!」と息を呑んだ。そして逃げ惑う大群衆を描いたシーンではゴミのような人間でも全部動いていて数秒のシーンに膨大な手作業の時間を割いていて臨場感を醸しており亡くなった方々へのオマージュにも見えた。

 

◉この小さな群衆の中に17才の私の若き日の父を見た。山のような反物を大八車に積んでいて燃えないように川に飛び込んだらしい。詳しい話は良く覚えていないのだが、長男が産まれて京都から上京したおり靖国神社に参拝し、帰りの参道でポツポツ聴いた記憶が急に蘇ったのだった。

 

◉祖父が彦根で塗師屋をやっていたがその跡を継ぐのがよほどイヤだったのか、大きな夢を抱えて東京に出て来ていたのか、日本橋の呉服屋の丁稚奉公をしていてこの大震災に遭遇したのだ。この震災でご主人を失い京都に墓があることからか、このあと京都で塗師屋として跡を継いでいる。3代目を長男の兄が継いで今も元気に仕事をしているが4代目の跡目はいない。残念ではあるが仕方がない。何かを言う資格もない。余談だが祖々父が彦根藩の駕篭かきをしていて明治維新後、警察官になったことを父は良く自慢気に話していたことも思い出した。

 

◉(追記)母は琵琶湖を挟んで彦根の反対側の滋賀県高島市(旧海津町・マキノ町他)の農家の出であった。小さい頃に夏休みに実家に行き石臼を挽いた記憶がある。[白州正子の「かくれ里」を行く](楓大介写真集)のブックデザインをした折に、今は「かくれ里」になっているが太古にはかってこの一帯は重要な拠点で白州正子が大変好んでいたことを知り、嬉しくもあり懐かしくもあり、出来ることならもう一度訪ねてみたいと想ったが叶いそうもないようだ。

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