2009年 11月 26日 — 3:25pm
作陶展のオリジナル案内状(藤澤重夫さんの陶板と坂本沙於里さんの書)
藤澤重夫さんから、築100年のご自宅での作陶展のオリジナル陶板を添えた
案内状が今朝届いた。あまりにも見事なので、昼食を食べに行った池田山公園で
ついでに撮影し、撮りたてを早速ブログで紹介させてもらった。
20年ほど前に、Hさんと一緒に彼のざくろ窯を訪ねた時に数千枚の陶板を
提案したらしいのだが、私は忘れていたのだが彼は覚えていて、
その時のささやかな思いを形にして私に送ってくれたようだ。
私は行けないのだが、お近くにお寄りの方がおられましたら是非!
詳しくは彼のホームページへ。
作陶展
日時:12月4日(金)〜12月10日(木)まで
場所:ご自宅をギャラリーとして
住所:石川県加賀市日谷町55-48
小松空港より空港バスで小松→JR北陸本線で加賀温泉または大聖寺駅下車
ホームページ http://www1.kagacable.ne.jp/~clay/
ブログ http://lapsang-u.jugem.jp/
2 件のコメント » | 周りの人々
2009年 11月 21日 — 7:36pm
今年2月から息子夫婦や孫と同居していたのだが、やはり家が狭く、
私のわがままで近所に越してもらった。2日おきくらいに孫に会うのだが、
成長ぶりが毎日見ている時よりハッキリ見え、やはり良かったかなと思っている。
今朝も来ていて、機嫌良く 遊んでいたかと思うと、帰る前には突然泣き叫ぶ。
ジジババの家に預けられて、親が居なくなるかも知れない不安を感じたからだ。
知恵が急速につき、簡単には騙せなくなって来ている。 一緒に帰ることを確信すると、
コロッと泣き止んでバイバイをして元気を残して帰った。
息子が後かたずけをしない娘に、泣き叫んでいても平然と躾けようとしているのを見て、
30年ほど前に無邪気に泣き叫んでいた息子の顔とダブり、不思議な感慨を持った。
コメントをどうぞ » | 孫まご日記
2009年 11月 18日 — 2:25pm
高校の同窓生に久しぶりに近況を知らせあったら、なんと心臓が悪くてニトロを
手放せず、頚動脈の動脈硬化もすすんでおり、近い内にカテーテル手術が必要とのこと。
しかも、肝臓も不摂生がたたりボロボロの状態だとか。
青春を謳歌しあった若き日の友との、なんとも悲しき再会であろうか。
この春、新聞記者を退職したらしいが、その激務に身体を蝕んだのだろう。
彼も可愛い孫二人に、翻弄されつつもまんざらでもない日々を過ごしているらしいが、
せめて恩師達より長生きしたいもの。大変結構なことではあるのだが、
私の小・中・高校の恩師の皆さんは、今だ元気溌剌としておられ、
長生きのコツも教えてもらっておくべきだった。(^ – ^)。
冗談はさておき、物理学者・戸塚洋二氏のブログに、彼が「闘病中に努力して
到達したいと思っている人生の終末を至言で表してくれています」として、
正岡子規の『病牀六尺』 からの一節を紹介しています。我々にも胸にしみる言葉だ。
———————————————————————————————————-
悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、
悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きている事であつた。
———————————————————————————————————-
コメントをどうぞ » | 周りの人々
2009年 11月 14日 — 12:28pm
岩手県盛岡市藪川の小学校の昼食風景(弁当を持って来れないが子が沢山いた)
1965年 楓大介撮影
1955年頃京都の小学校での給食風景 撮影者不詳(左手前が私)
まだ決まった訳ではないので詳しくは書けないのだが、以前、写真家楓大介さんの
『白州正子の「かくれ里』を行く』の装丁デザインをさせて頂いたご縁で、
楓さんから出版したい本の企画があるので相談に乗って欲しい。との電話を頂いた。
40数年前に、写真専門学校の卒業旅行で撮影した 写真がきっかけで、
給食が出来ない盛岡の寒村に、当時の総理大臣肝いりで給食が実施された
実話をまとめた原稿なのだが、
読んで驚いたのは、戦後の復興から立ち直った昭和40年頃に給食も
食べられない子供たちがいたことと、
時の総理大臣を動かしたきっかけを作ったのが、プロカメラマン前の若き楓氏だったこと。
私は終戦直後に京都で、漆塗り職人の三男に生まれた。
長年、貧しいとばかり思い込んでいたが、彼らに比べれば
とんでもなく豊かだったことが知れ、恥じ入った次第である。
コメントをどうぞ » | 仕事のこと