2014年 10月 3日 — 9:07am
◉昨日は検診日。近頃では朝一の痰が微量になり散歩もかなり楽に歩けQOLは良くなった。腫瘍マーカーのCEAも微量増で転移もなくTS-1が押さえているようだ。時々鎖骨・足首のリンパ節がポコッと膨れるがリンパマッサージですぐ消える。副作用は何もなく食欲もあり血液検査はいたって元気な数値で、TS-1を止める理由はなく本日から6クール目を続けることに。
◉1年生の漢字68文字の【どこにあるかな】もやっとこさ50作ほど出来て来た。最近では字数も増えて難しくなり2日に1作しか出来ない日も・・・。あと18作でアイデア案がまとまるが、その後2年生の漢字160文字が待っている。無理はしないがコツコツ仕上げるしかない。
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2014年 10月 1日 — 10:23am
◉昨日懐かしい友人が訪ねて来てくれた。40年ほど前に雑木林を切り開いた建て売り住宅に住んだ時、自宅の真ん前に九州出身の牛草さん夫妻がおられ家族ぐるみでお付き合いをしていた。写真下左は1978年息子が2才の頃、牛車さんのご長男ご長女達と兄弟にように過ごし、貴博君(右)兄妹はお父さんの出張土産の民族衣装を着てご機嫌の様子。
◉写真下右は38年経った貴博君で、横浜のどうぶつクリニックの院長先生に成長し、10年前に開業した時ロゴマークやキャラクターCI 一式をプレゼントしたが人柄もあり急成長。軌道に乗った今、彼は最先端のアレルギー・がん治療などの再生医療を研究するべく大学院で若い学生達と一緒に学んでいるとのこと。
◉甥っ子姪っ子が京都西院で料理店,北九州市小倉でラーメン店やもつ鍋店を開業して頑張っているし、アルツハイマー研究の博士がおり、古くからの友人のお子さんたちがミュージシャンや院長先生も・・・。こうして少しづつ良きDNAに変化しつつ時代をつないで行くのだろう。まさに隔世の感ありである。
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2014年 9月 21日 — 9:23am
◉1ヶ月ほどお向かいさんの奥さんを見かけないなと思っていた。思い切って寡黙な旦那さんに「どうかされましたか?」と聞いたら、大腸がんで8月に手術し、最近PET検査で転移していないか調べている所だと言う。75才くらいだが貧血だとは聞いていたが元気そうだったので、まさか、まさかと驚いた。
◉お隣さんの旦那さんは肉屋をやっていたのだが腎臓が悪く透析を3年ほど続けている。足腰も弱って杖がないと歩く事もままならない状態。散歩途中ですれ違う時は励まし合っている。さて本題だがこの跡取りの45才くらいの長男も、なんとあごのがんで7月に手術していたと言うのをたて続けに知った。歯が痛たかったようだが運悪くがんだったと・・・。結婚もしていないのに最悪の悲劇だ。気の弱い奥さんの胸は張り裂けそうだろう。可愛そうで仕方がない。歯の初期治療の時にはレントゲンも撮るので「がんらしいものはないですか?」と聞く事も大事なことだと思う。
◉がんになると何故か他人、いや身内にさえも隠したがるようだ。それは私も同じであった。余分な心配をかけたくないとか、弱みを見せたくないとか、なんとなく恥ずかしいとか複雑なな心のありようであった。隠さないで相談し合えば弱った気持ちを共有し有益な生き方も見つかるかも知れないと思うのだが。しかし考えてみると9軒の路地で胃がん・皮膚がん・肺がん・乳がんなど部位がバラバラなのだが、なんと6軒もががんにかかった事になる。恐ろしいことだが隠さない報告でキチン統計取れれば、日本地図で写真のように塗りつぶすと3分の2以上が赤色に染まるのでは・・・。
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2014年 9月 15日 — 8:43am
◉四国の甥の康治君が講演の合間に9月13日に川越に訪ねて来てくれた。阪大からアルツハイマー研究のためミュンヘン大学へ留学をしていて3年になるらしい。彼の論文を順天堂大学の先生が読んで講演を依頼されての一時帰国だった。四国に住む87才のじっちゃんばっちゃんが少しボケ始めているので間に合いそうかな?と質問したが残念ながら首を横に振っていた。さぞ無念なことだろう。講演は済んでいてこの日の夜7時に飛行機で四国に寄り、その後、奥さんと二人の男の子の待つミュンヘンに2週間ぶりに帰ると言う。日本よりもリアルタイムに世界の研究に出会えるミュンヘンが気に入っていてまだ2〜3年は研究するらしい。「伯父さんがこんなに元気だったのには本当に驚きました」と嬉しい言葉を残して帰って行った。
◉30年近く前に二神島の浜辺で、寡黙に釣りをしていた少年が医学の学者さんになるなんて‼︎、こんな自慢の甥が現れるなんて全く想像も出来なかったことで長生きはしてみるもである。帰りがけに「伯父さんから昔ハリー彗星(私が28才の1986年頃に出現)の写真を貰ったんですが今でも宝物にしていますよ」と言われた。カメラに凝った時期もあるがそんな記憶はあまりにも遠ざかっていて思い出せなかったが、康治君が帰ったあと家内と二人で胸に熱いものがこみ上げた。
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