2011年 9月 5日 — 10:30am

知り合いの編集者さんから昨日メールがあり、8月上旬から2週間ほど、震災で大きな被害を受けた宮城県七ヶ浜町という小さな海辺の町で、ボランティア仕事をされて来たそうです。やってみたいと思っても簡単に出来そうもないのにエライな〜。東京に戻ってからも、ひきつづき応援団をされていて、9月10日に開催予定の『菖蒲田浜復興まつり』の広報を担当されているようです。復興まつり運営費としての協賛金のお願いもされました。一口/1,000円からですのでこのブログお読みの方、宜しければご協力お願いいたします。私は行けそうもありませんが、元気の出るまつりになれば良いですね・・・。
【菖蒲田浜復興まつりの開催】
開催日:2011年9月10日(土曜日) 会場:宮城県宮城郡七ヶ浜町 菖蒲田浜海浜公園
【地図】http://g.co/maps/yzc8
【協賛金募集】お振込先:七十七銀行 七ヶ浜支店 普通預金口座:5308852
七ヶ浜再生プロジェクト実行委員会 復興祭花火協賛金:一口/1,000円より (※協賛金目標額210万円)企業・団体・個人問わずご協賛いただけます。 いただきました協賛金は、今回の花火大会、菖蒲田浜など浜の環境整備費に利用させていただきます。
【菖蒲田浜復興まつり」公式ブログ】http://united7beach.blog.fc2.com
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2011年 8月 5日 — 3:38pm

◉新作アニメ映画「上を向いて歩こう。コクリコ坂から」を見た。舞台は翌年に東京オリンピックを控えた、1963年の横浜。古いものを壊し、どんどん新しいものを作っていこうとする気運のなかで、横浜のとある高校での恋愛物語。◉「歴史的な時代の変化が日本の国にあったということが届いていない。」永々と伝えられた古き良きものを切り捨て忘れ去られたものの中に、もっと違った可能性があったのではないか。苦しい涙を流した後は「志の旗を掲げ、上を向いて歩こう」よ。と言う宮崎親子の深い想いが込められたアニメではあるのだが、3.11大震災の実体験以降に企画されていればかなり違った内容になって、感動の質が異なっていたことだろうと思うのは私だけではないだろう。
8月29日追記:「コクリコ坂から」の企画は一昨年、製作は昨年からだから上記3.11がらみの私の感想は筋違いと反省していた所、8月28日に@miyasan_bot ジブリの森 非公式botの宮崎駿監督のTwitterを読んだ。次回作がますます愉しみです。


◉1963年と言えば私がまさしく17才、高校3年生の時代だ。映画館の暗闇で見るガスコンロで炊いた吹き出す泡には匂いがしたし(私の家ではまだカマドだったが)、ガリ版切りのシーンでは、京都堀川高校での生徒会執行部室内の仲間が思いだされ懐かしい青春時代が蘇った。私は図書委員ではあったが、生徒会新聞のガリ版切りを良くやらされたものだった。その証拠写真が残っていた(上左写真)。◉生徒会長は山口敦也君(右写真左)と言う健康そのもので闊達な好青年で大親友だった。高校卒業後私がデザイン学校で学び、大阪のデザイン会社で全学連の反安保デモなどを横目に徹夜続きで働いていた時、唐突にその彼の訃報をご家族から電話口で聞いた。そして「最後まで中谷君に会いたがっていた」と・・・。◉なんと25才だった。葬儀に出席しいつの間にか火葬場まで同行することになり、骨を拾う時に見た背骨は、中央20cmくらいだけが真っ白ではなく黄色みがかっていた。詳しい死因は聞き忘れたが多分癌だったのではなかろうか。彼女だと思われる女性もいて彼の骨を素手で拾いカリカリかじっていて「あっちゃん、あっちゃん、どこへ行ったの・・・」とズッと叫んでいたのを忘れられない。◉25才で死ななければならぬ運命を、どんな悔しい想いで受け止めていたのだろうか? そんなことを考えると1〜2週間涙が止まらず仕事にならなかった。(当時デザイン画はポスターカラーで描いていたので、涙が落ちたのでは滲んで完成しない)そして彼のやり残した分まで存分に生きることしか供養はないとなんとか立ち直り、思い出詰まる京都・大阪から東京に出たのだった。そんなことを帰りの電車で思い出してしまった。
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2011年 5月 20日 — 11:27am

【マーカーが下がって涼し杜若………7回目ゲムシタビン終了なう】
は、昨日4時頃にTweetsしたものだが本日改作。
燕子花図マーカーグラフに見え可笑し
◉昨日ゲムシタビン3クール目7回目。私は午後3時からだったが、Mさんが2時なので早めに出かけて採血・X線をご一緒してカフェテリアで昼食をした。Mさんは会うなり「最近調子良くないないヨー」と言う。Sさんが4.11に亡くなったことが随分ショックでラジオ体操もやる気がせずにめげていたそうだ。ひとしきりSさんの思い出話を咲かせ「Sさんの分もガンバらなくちゃネ」と3週間後の再開を約束した。◉1週間遅れでないと出ないマーカーの数値はSLX27.9とSCC 1.8Hで、1ヶ月前のSLX30.1とSCC 2.2Hから少し下がっていて3マーカー共にゲムシタビンが効いているであろう数値が出たのでホッ。当分続けられそうだ。
◉昨晩寝る前にメールチエックしたらブログの”早や3回忌” に新しいコメントがありました。なんとSさんの娘さんからだったので、昼間話したMさんとの思い出話をお悔やみの代わりに”早や3回忌”に返信コメントさせていただいております。

国宝 燕子花図屏風 尾形光琳筆 根津美術館蔵
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2011年 5月 17日 — 3:01pm

今日5月17日はNさんとKさんの早や3回忌。13日は同窓生高橋善樹君の3回忌でもあった。(Archive.2010.4.1「約束の絵本がついに完成」Archive.2009.5.14「五月の雨音に溶けて消ゆ」)同じ頃に闘病していたのだが、みなさん共にガンで若死されてしまった。私の肺ガンは2008年8月に発見告知されたものの今のところ転移はなさそうで、なんとか週1の抗がん剤治療もこなせている。その差は発見時のガンの症状が、初期状態か重篤状態かで大きく変わる。早期発見して長期地獄になるか、後期発見で早期極楽になるか。どちらになるかはその人の運次第。いづれにしてもガンは本当に厄介な病気ではある。今朝、約束を果たしたNさんの絵本を読み直したが、亡くなる間際まで楽しんで絵を書いておられた素敵な笑顔が懐かしい。お孫さんがこの絵本を読む日はいつだろうか? ん、急に雷と雨がやって来た。あらためてご冥福をお祈りします。
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