2009年 12月 4日 — 11:09am
季刊「銀花」160号
表紙構成:杉浦康平
特別付録
創刊40周年記念、2010年カレンダー

音楽は喜びの伴侶、悲しみの薬
― 山梨に古楽器を訪ねて (126p-135p) 文=徳井 いつこ 写真=後勝彦
◉すぐれたチェンバロ奏者でもあったバッハの遺産目録には、チェンバロ五台の他に、
リュートが一本、そして“ラウテンヴェルク”と呼ばれる幻の楽器がニ台含まれていた。
ラウテンヴェルクは、リュートの音色を再現するために彼が特別につくらせたという、
ガット弦を張ったチェンバロである。おそらくバッハは、リュートの響きに並々ならぬ
憧憬を寄せていたにちがいない。◉リュートとチェンバロ—–バッハを魅了した古楽器
のつくり手たちが、山梨に暮らしている。八ヶ岳を望む白州に、リュートを手がける
山下暁彦さん、緑深い牧丘に、チェンバロを製作する野神俊哉さんを訪ねた。
(本文リードより)
リュート、バロックギター/作・山下暁彦 チェンバロ/作・野神俊哉
リード】
アンナ・マグダレーナ・バッハの『バッハの思い出』のなかに、微笑ましい一節がある。粉屋でパン焼きだった曾祖父について、J・S・バッハが好んで話したという下り。
「曾祖父ファイト・バッハの何よりの楽しみは、いつも小さなギターを抱えて水車小屋に行き、粉がひかれているあいだ奏でていることだったとか。“きっとうまく調子が合ったことだろうよ”とセバスティアンは微笑しながら申しました。バッハ家では、良い人とは、いわば子どものように音楽好きなことを意味するのです。水車に拍子を合わせて音楽を奏でていた先祖の思い出は、セバスティアンにとって、一生のあいだ、つねに心の慰めであったようでございます」
すぐれたチェンバロ奏者でもあったバッハの遺産目録には、チェンバロ五台の他に、リュートが一本、そして“ラウテンヴェルク”と呼ばれる幻の楽器がニ台含まれていた。ラウテンヴェルクは、リュートの音色を再現するために彼が特別につくらせたという、ガット弦を張ったチェンバロである。おそらくバッハは、リュートの響きに並々ならぬ憧憬を寄せていたにちがいない。それは粉屋の先祖への共感に、どこかしら似ていたかもしれない。
リュートとチェンバロ。
バッハを魅了した古楽器のつくり手たちが、山梨に暮らしている。
八ヶ岳を望む白州に、リュートを手がける山下暁彦さん、緑深い牧丘に、チェンバロを製作する野神俊哉さんを訪ねた。
リュート製作者・山下暁彦 チェンバロ製作者・野神俊哉
文=徳井 いつこ 写真=後勝彦【リード】




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2009年 11月 14日 — 12:28pm

岩手県盛岡市藪川の小学校の昼食風景(弁当を持って来れないが子が沢山いた)
1965年 楓大介撮影

1955年頃京都の小学校での給食風景 撮影者不詳(左手前が私)
まだ決まった訳ではないので詳しくは書けないのだが、以前、写真家楓大介さんの
『白州正子の「かくれ里』を行く』の装丁デザインをさせて頂いたご縁で、
楓さんから出版したい本の企画があるので相談に乗って欲しい。との電話を頂いた。
40数年前に、写真専門学校の卒業旅行で撮影した 写真がきっかけで、
給食が出来ない盛岡の寒村に、当時の総理大臣肝いりで給食が実施された
実話をまとめた原稿なのだが、
読んで驚いたのは、戦後の復興から立ち直った昭和40年頃に給食も
食べられない子供たちがいたことと、
時の総理大臣を動かしたきっかけを作ったのが、プロカメラマン前の若き楓氏だったこと。
私は終戦直後に京都で、漆塗り職人の三男に生まれた。
長年、貧しいとばかり思い込んでいたが、彼らに比べれば
とんでもなく豊かだったことが知れ、恥じ入った次第である。
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2009年 8月 26日 — 10:35am
季刊「銀花」との出会いは、私が京都から26才で上京して3年後、大手出版社の雑誌のエディトリアルデザインなども初めていた頃である。書店で何気なくとった雑誌の表紙を開くと、和紙の肉筆画が目に飛び込んで来た。手書きの絵が挿入されているなど通常あり得ず、目を疑ったが積まれている別の表紙を次々めくると、富士の絵だったり、可愛いい仏さんの絵だったり、すべて絵柄が違うではないか! この時、佐藤勝彦は7万枚とも8万枚とも言われる絵を、1年間で書き上げたのだった。私は感動し、若くて給料もまだ少ない頃だったが5〜6冊買ったように記憶している。描いた人も凄いが、描かせた編集長も前代未聞、なるほど雑誌は文化だと感じ入った次第で、その証を手元で眺めたかったからである。それから40年近く経ち、その「銀花」のお手伝いを、こうして今だにさせてもらっている縁は、感無量であり望外の幸せである。

文化出版局 8月25日発売 (104p−113p)
出雲國の風陶人ー 三原研の炻器ー 写真-伊藤千晴 文=片柳草生
『古事記』や『出雲国風土記』にまつわる神話の国、島根県、由緒ある古社が数多く残り、宍道湖や中海などに囲まれたすがすがしき水都、松江。ここで生まれ育った三原研さんは、焼きものを志してから一貫してこの地で製作をしてきた。若い日、都会へあこがれ、最先端のアートを追いかけ、技術を凝らした焼きものを焼いていたが、ある日、自分の内なる出雲に気づく。まぎれもなきおのれの出自、根っこの土地。もっと素直に風土と向き合おう、と。以来、それまでのうわべを彩る装飾表現と決別、自分の声に耳を傾けながら土の魅力と本質を、形と質感に尋ねる仕事へと向かう。生まれてきた焼締めに「炻器」と名ずけて。
(本文リードより)



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2009年 5月 18日 — 3:14pm

季刊「銀花」158号(文化出版局) 110p−125p
季刊「銀花」158号/夏(文化出版局)ー2009年5月25日発売
「北の残照」写真家小島一郎が焼き付けた津軽、そして・・・
今年の年明けから3月にかけて、青森県立美術館で小島一郎(1924〜1964)の
大規模な回顧展が開かれた。限られた写真界の人々を除き、
知る人ぞ知る存在であった小島の短くも充実した仕事の全貌が
初めて明らかになり、大きな反響を呼んだ。
被写体のほとんどは、故郷、青森だ。津軽のはるばると広がる空と大地、
曇天と雪に蔽われた下北の海辺、土地に根ざした人々の暮らし……。
時に風土に寄り添い、時に透徹したまなざしで、
小島は目にしたものを印画紙に焼き付けた。
その写真は静謐の中に情熱を秘め、夢半ばで生涯を閉じた作家という
物語性を超えて、強い力で現代人に訴えかけてくる。(本文リードより)
http://i-debut.org/ginka/





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