Category: 周りの人々


関東大震災と父

2013年 8月 10日 — 11:20am

宮崎駿監督制作 【風立ちぬ】の関東大震災の1シーン

 

◉1923年(大正12年)9月1日、関東地方南部を襲った大地震により、死者・行方不明者10万5千余り、家屋の全壊10万9千、焼失21万2千という未曾有の大災害がもたらされた。宮崎駿監督制作の【風立ちぬ】の時代背景でもある。家屋が津波のように隆起して倒壊するシーンは圧巻で、思わず「アッ!」と息を呑んだ。そして逃げ惑う大群衆を描いたシーンではゴミのような人間でも全部動いていて数秒のシーンに膨大な手作業の時間を割いていて臨場感を醸しており亡くなった方々へのオマージュにも見えた。

 

◉この小さな群衆の中に17才の私の若き日の父を見た。山のような反物を大八車に積んでいて燃えないように川に飛び込んだらしい。詳しい話は良く覚えていないのだが、長男が産まれて京都から上京したおり靖国神社に参拝し、帰りの参道でポツポツ聴いた記憶が急に蘇ったのだった。

 

◉祖父が彦根で塗師屋をやっていたがその跡を継ぐのがよほどイヤだったのか、大きな夢を抱えて東京に出て来ていたのか、日本橋の呉服屋の丁稚奉公をしていてこの大震災に遭遇したのだ。この震災でご主人を失い京都に墓があることからか、このあと京都で塗師屋として跡を継いでいる。3代目を長男の兄が継いで今も元気に仕事をしているが4代目の跡目はいない。残念ではあるが仕方がない。何かを言う資格もない。余談だが祖々父が彦根藩の駕篭かきをしていて明治維新後、警察官になったことを父は良く自慢気に話していたことも思い出した。

 

◉(追記)母は琵琶湖を挟んで彦根の反対側の滋賀県高島市(旧海津町・マキノ町他)の農家の出であった。小さい頃に夏休みに実家に行き石臼を挽いた記憶がある。[白州正子の「かくれ里」を行く](楓大介写真集)のブックデザインをした折に、今は「かくれ里」になっているが太古にはかってこの一帯は重要な拠点で白州正子が大変好んでいたことを知り、嬉しくもあり懐かしくもあり、出来ることならもう一度訪ねてみたいと想ったが叶いそうもないようだ。

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「人は死なない」

2013年 7月 2日 — 9:26am
「人は死なない」(発行:バジリコ)        「医療のための発信を共に. DO TO DO」August 2012. No. 3.

 

◉最近「人は死なない」と公言している医者がいることをたまたまTVで知った。西洋医学の総本山とも言うべき東京大学医学部教授で臨床最前線・救急外来とICU(集中治療室)を一手に統括する要職にありながら「人は死なないある臨床医による 摂理と霊性をめぐる思索」の著書を世に問うた矢作直樹氏(57才)だ。

 

◉なに~? 医者が「人は死なない」だと? そのタイトルに唖然とし、すぐその真意を知りたく書店で探したが「人は死なない。では、どうする?」(マキノ出版)があったので取り急ぎ読んでみた。

 

◉ご自身の若い頃の不思議な経験や亡くなった母親との再会、 そして何よりも臨床医として間近に人の生と死に接し医学の常識では説明が付かない臨死体験・霊魂の話までを気功家・中健次郎氏と実話を交じえつつ対談した内容であった。

 

◉矢作氏は病院にほとんど寝泊まりし不眠不休で最前線で働きながら、自己の探求心から仕事の性質とは相反するような霊についての研究までこなしている変人だ。辿り着いた結論は

 

「最先端の治療を施しても、寿命が来れば人は死ぬ。
しかし、人の死は終わりではない。

摂理によって人は生かされており、肉体は滅んでも霊魂は永遠に生き続ける。

そして亡くなった人の霊にいつも自分は見守られている。

そのように考えれば、生きている限りは感謝の気持ちを持って生きられ、

死に直面してもあわてずに済むのではないか。」

 

と言う驚くべき内容であった。この世はあの世(霊魂の世界)の表世界とこの世の裏世界の2層構造になっていて、こちらからは見られないがあちらの霊はあなたのすぐ横にいてあなたを見守っていると。

 

◉にわかに信じられない説で、医者の概念から外れたこれらの持論を本で吐露しても、ひょっとして本当にそうなんじゃないかと思わせる説得力があるのが矢作氏の凄さである。超最先端の医学を駆使しつつも両手をかざせば手のひらからピリピリ何か出てスピリチュアル・ヒーリングも出来てしまうのだから、これはもう超人としか言いようがないからだ。

 

◉あり得ないと言ってしまうのは簡単だが、その通りかも知れないと受け入れてしまったほうが納得出来ることが多く(兄は亡くなる前に夢枕で話しかけて来たし、天井から自分を見ていた臨死体験も数例聞いた。ふと横に誰かいるような気になるのは良くある。)幸せなような気もするのだが・・・。

 

写真右:「医療のための発信を共に. DO TO DO」August 2012. No. 3.

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信じられぬ出来事

2013年 5月 6日 — 8:21am

 

がん友のMさんが1月11日に亡くなった出来事を4月 5日 「寒桜すでに散り」のブログに書いたが、どうしても信じられないので、失礼を承知で息子さんに下記メールを出した。

 

「お父様に最後にお会いしたのは昨年12月14日。少しおつらそうでしたが自力で歩いておられました。その1か月後に亡くなられるなんて今だに信じられません。ひょっとしてバイクか薬による自死ではなかったかとまで思う始末。何しろ私もどんな風に死ぬのかが最大の関心事なものですから、失礼ながらお父様のご最期を知りたく是非お教え願えないでしょうか。」

 

図々しい申し出でにもかかわらず、その返信が5月3日にあった。

 

「実は母が4月9日の夕方亡くなりました。肺がんが発見されてから2カ月弱、入院から22日で亡くなりました」

 

ゲゲゲゲゲ、何のこと? と目を疑った。

 

続いて「父の最後は母が仕事から帰るとコタツで横になっていたそうです。鎮痛剤をかなり飲んだ形跡がありました。痛くて痛くて、飲んだんですかね~ 最期は愛犬モモが知っていますが聞けません。モモが話せれば聞いてみたいです。まだ自分も心の整理が出来ない中 母の死後の手続き等々に追われております」

 

との内容だった。ショック、大ショックだ。あの元気な奥さんが肺がんで亡くなられたとは・・・それも長年肺がんの旦那を献身的に看病し続けて最後を看取った直後に・・・。よほど生きる力を失くされたのか、寂しがって旦那が呼んだのか、これでは共倒れではないか。

 

それも我々は5年もオロオロウダウダ闘病しているのに、たった2カ月で逝くなんて・・・。本当にがんは千差万別だ。不謹慎かも知れないがある意味ではがん患者の理想、お手本ではないのか。若い時ならいざ知らず治らぬがんの早期発見なんてくそくらえである。

 

 ご両親をたて続けに亡くされた一人っ子の息子さんは、それでも「寂しくなりましたが頑張ってみます。親父の分まで長生きして下さい」と私を気づかってくれていた。めげずに立ち直って下さい。

 

命の不可思議、運命の不可思議さを痛感させられた出来事だ。肺がんの怖さも・・・

 

家人にも心身ともに長年にわたって大変な苦労をかけさせている。Mさん達の二の舞にならねよう検診に是非行って欲しいものだ。

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羽根つきたい焼

2013年 4月 24日 — 11:56am

 

 

ご近所さんから見たことのない羽根つきたい焼きを頂いた。なんでもお友達がお店をやっておられるとのこと。ネットで調べてみたらアトレ川越、地下1階食品街の「鯛一」のたい焼きだった。2年前からオ-プンしていたが知らなかった。私の食べたのは小倉あんではなくあんがカスタード。プリンのような食感で大人の味。羽根部分がカリカリして美味しく得した気分。食べたことはないが鯛玉という玉子入り塩味もあるらしい。この時代、これ位いのアイデア・工夫・差別化がないとやっていけないのだ。繁盛すると良いのだが・・・

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